デザイン

デザインが、虚構の繁栄を支えるもの、あるいはそれを催促するものとして使われている限りは、デザインのうちにさまざまな欠陥が認められても、次々にうみ出されるより良いデザインという口実の影にそれらが消えてゆくのを消費者の方でもあえて深追いしない、というのがこれまでの状況でした。しかし消費者は神様というかけ声のもとに進められた消費ブームが虚しい根なし草だと気づかれるとき、消費ブームに一役買い、またそれの恩恵でプロフェッショナルな分野にまで上がったデザインという仕事は、どこに目標を定めることとなるかというと、当然、国内の製品の量と質の向上のためであれ、あるいは反対に、輸入品の販売促進のためやレジャーの奨励のためであれ、宣伝のためのデザインはつねに必要とされます。そのような要求に思実に答えるのがデザインの役割りだとみるならば、デザインにはそれを支える恩想もなく、またあえてデザインの社会的効用を口にするのも見当違いということになっていきます。しかし、私達のまわりには、故障の起きやすい安全でないガス器具や電気製品、ありとあらゆる装備を施した学童用の勉強机、商品の粗悪さを隠蔽するがのようなケバケバしいパッケージなど数え上げれば、たくさんの奇妙なデザインの跡形があります。それらが、私達の生活を豊かにしているように見えながら、実は生活環境の破壊に一役買っていることになるのではないが、ということは、いくぶん長い目で見るのでなければ分かりにくいことになります。デザインの進め方において、消費者は粗悪品中のましなもので満足するように操縦されている嫌 いがあるかもしれません。デザイン公害に気付くならば、デザインの社会性や公共性についてもっと関心が寄せられなければなりません。もちろん、よく言われてきたようにインダストリアルデザインは、1930年代の経済的不況の中でアメリカで生まれました。その時デザイナーは、不況を突破してゆくための魔術師的な、企業の尖兵でした。そうして、戦後の日本では、高度成長下にあって商品の使い捨て時代に便乗した形で、デザインは急速に膨らみました。デザインはもっと一般的、根本的に言って、見えのためのデザインではなく、あらゆる商品についてもっぱら低所得者層のためのデザインを考えたという例がどれほどあるか、また正しい情報の伝達のデザインといえるものがどれだけあるか、デザイン公害とデザインの公共性の自覚とは表と裏の関係にあります。私達は消費需要のほとんど全てが消費者の直接欲求によるものでなく、造られる物であること、そのような仕組みのもとでは、ともすればデザインは商品の使用価値とはまったく別のものとしてつけ加えられることが許されることを、常に注意して見ていなければなりません。消費者は、デザイン公害の告発に目を向けるだけではなく、商品の使用価値の一部としてデザインが進められてゆくことを強く支える姿勢を持たなければなりません。

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マイホーム予算

マイホームを建てる予算が予想以上にかかりそうな場合は、まず設計士や施工会社の人に正直に打ち明けましょう。そして相談の上で一部の部屋は将来増築する、間取りを変更する、後で改装や入れ替え、購入ができるもの、内装や設備器機、家具などは将来に回すなどの徹底的に知恵を絞り、予算内に納める工夫をしましょう。銀行や金融機関でお金を借りる金額は少なければ少ない程良いにこしたことはありません。マイホームを建てるのに必要な総予算の内訳の目安は本体工事が70%から80%、別途工事費が15%から20%、諸経費が5%から10%です。予想外の金額になり家計の見直しが必要にならないように、実際に必要な総予算をチェックしましょう。都会暮らしでも田舎暮らしでも、家の建設費には土地の値段と違って大差がありません。住む地域の選定も重要なことです。

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